文化祭一日目とキリスト教

タイトルの由来は1時間程度の演説。
演説をしたのは重度身体障がい者の清水哲さん。
彼は桑田や清原の先輩のようで、昔から野球が好きだったようで。
PLで甲子園に出てその一年後に野球の試合中に首の骨を折り、生き延びたが首から下が麻痺してしまった。
リハビリのお陰で右腕の一部分は動かせるようになってはいる。
死ぬかこのまま精神が持つまで生きていくかで人知れず悩んでいた俺に一筋の光が見えたようなそんな感じが後から襲ってきた。
正直、演説中は眠くて仕方なかった。でも、何とか起きていた。
俺は身体が思うように動かなくなってしまった彼を見たり演説を聴いて、両手両足が自由に動かせれる俺は何て阿呆なんだと。
清水哲さんも、その状態になった時に死にたいと思ったけど、生きている。
大して俺は何も手段を考える事すらしないで安易に死を選択しそうになった。
この差って一体。ただ単に精神力とかのモノか。否。
俺にそーいう根性がないだけの話。


あまり関係ないが、キリシタン大名高山右近が立てた城跡の近くに高槻現代劇場があるのだが、その近くにカトリック系のキリスト教の教会を発見した。
既知の話だと思うけど、キリスト教には二つの派が存在する。
カトリックプロテスタント
吸血鬼狩猟者では、ディバインというイスカリオテが元の異端審問及び弾圧機関がある。
そうしてみると、ディバインはカトリック側でヤクトシュートスはプロテスタント
といった構図になる、が。
ヤクトシュートスはキリスト教とか関係ないように書くつもりなのであまり気にしなくてもいいです。
(……なんか後で読み返したら意味わかんねぇ文になりそうだなorz)